幼虫の身分に固執するべきだった
未完成にとどまり 進化を拒み 胎児の恍惚に包まれて
静謐の内に絶滅するべきだった。
エミール ミハイ シオラン / 生誕の災厄
生きるのって大変ですよね。不条理と理不尽まみれなのはここまで文明化されて、科学技術の進歩で生活には困らなくなったのに相変わらずで、格差の拡大で才能と財力に特段恵まれた人間以外はあるものまで根こそぎ奪われる。
水も食料も息を吸うことさえも無償ではできず、それどころか値上げでその値段すら上がってるのが現状ですよね。
こんな世界は誰かが終わらせて楽園を実現してほしいと願っている方も多いはずです。
あらゆる構成員の食料と水と空気と人権、そして健康が無条件に保証された社会の実現を願う方も多いはずです。
しかし、考えて頂きたい、それで本当に楽園が実現するんでしょうか。
それをマウスで検証した四年にわたる壮大な実験があります。
そう、知る人ぞ知る楽園実験 Universe 25 [ 1 ] です。
これはハツカネズミ ( 以降マウス ) を移住、天敵による捕食、水、食料の欠乏、場所の不足、伝染病をはじめとする病の五つの死因から無縁の環境におかれたマウスがどのような社会を形成するのか観察する実験です。
ユニバースと呼ばれた実験系にはメッキされた亜鉛版で移住は出来ないように壁が設けられ、それぞれのマウスには 256 の 15 匹が暮らせる 4 部屋の巣穴が用意され、水は最大二匹ずつ、食料は最大で 25 匹が同時に食べられるように巣穴に続く道の途中に、また温度は通年 22 - 33 度にとどまるように調節され、実験系は屋内でした。
さらにマウスは予防接種済みの個体を最初の構成員として用意しました。
この系は最大 3800 匹のマウスを問題なく収容し、水も 6800 匹を超えるまで不足しない・・・はずでした。
結論から言いますと、マウス達は本能的習性がことごとく裏目に出た末に自己破滅の道を辿りました。
実験開始からそれまでの 1780 日でマウス達は下記の過程で滅んでいきました。
A : 入植期
予防接種されたうえで育てられた健康な 21 日齢のマウスを実験系にオスメスそれぞれ四匹を投入するところから実験は始まりました。
そのマウス達は新しい環境に 104 日かけて順応し、繁殖を始めました。
B : 繁殖期 104 - 315 日
環境に適応したマウス達は繁殖をはじめ、その数は五日でほぼ倍になるほどでした。
このころからマウスの生息域と人工の分布に偏りが出始め、最大で 111 匹が暮らす縄張りと最小で 13 匹が多くの巣穴を占有する縄張りが出来、人口の増加速度も同様の差異が見られるようになりました。
C : 停滞期 315 - 560 日
このころになると、マウスの人口増加は突然鈍化し、異変が各縄張りに現れました。
各縄張りにおける社会的地位の世代交代により生じる空き数は新たに生まれてくる個体数を下回るようになり、結果世代間での社会的地位をめぐる闘争が発生し、それらは非常に激しいものだったようです。
本来、マウスは群れの人口が過密になり、社会的地位が埋まると余ったマウスは追放されて他で新たな縄張りを形成します。
この系では移住は出来ないため、各縄張りに所属していたうちの三分の二が系中央の床に集まり床で寝るようになりました。
食料と水は巣穴に向かうトンネルの中でしか手に入らないため、彼らはなわばりに侵入して食事をしなければならず、そのためなわばりの防衛についていたマウス達は階級闘争と元の同胞たちとの戦いをしなければならず、巣の防衛は間に合わなくなり、ついにはメスがその役目を負うようになり暴力的になっていきました。
そうして、メスたちは我が子を運ぶ際によく落とすようになり、流産率も上昇し、我が子にときに暴力を振るい、体毛が生えそろう生後一週間程度で巣穴から追い出すようになりました。
そして一方で、縄張りに残り社会的地位につき続けたオスも二匹以上が巣穴に戻るとそこに休んでいたオスがいる場合暴力を振るうようになり、結果暴力を振るわれたオスも他のオスに暴力を振るうようになりました。
マウスは穴倉に集団生活をし、親から近所づきあいなどの社会性を学び、成長するとオスにはなわばりの防衛あるいはボス、メスには妊娠出産子育ての役割が与えられ、オスの場合は社会的地位と伴侶の座を、殴り合い噛み合いのケンカで争います [ 2 ] 。
また、オスは攻撃を経験するとするされるにかかわらず攻撃的になり、ほかのオスを見るなり攻撃するようにもなります。
こうして母親には虐待され、オスには暴力と共食いのリスクから関われず、社会性を学ぶことなく育ったオスは他のマウスとの争いを避け、生殖行為も行わず食事と毛づくろいのみをして生きるようになりました。
彼らは論文内では beautiful ones ( 美しい人 ) と呼ばれています。
余談ですが、彼ら美しい人を他の実験系に移し、メスのマウスと暮らさせたところ興味を示さず、相変わらず毛づくろいと食事のみをしていたことが報告されています。
また同様の親に育てられたメスのマウスは流産率が極めて高く、最終的には正常な出産をしなくなりました。
D : 終末期 560 - 1780 日
入植から 560 日目に突然人口の増加が停止して、人口はそこから単調減少していきました。
この時残っていたのは親に虐待された世代のみな上に高齢化も進んでおり、それからオスが 1780 日目にして全滅することでこの実験系におけるマウスは絶滅が決定しました。
たとえどれだけ食料と水と十分なスペースを無償で与え、健康を保証しようとも遺伝子にプログラムされた本能は地獄のような環境に適応して最適化されていることがほとんどであるため、それが楽園に適応できずに格差や暴力を蔓延させ、最終的には種の自己破滅が到来するのはある意味当然の帰結と言えます。
最初に生誕の災厄から言葉を引用したシオラン氏も、人間は進化しすぎたから楽園が手に入らないと考えていたようですが、それはマウスも同じようです。
人間でも旧石器時代に最適化された様々な形質故にいろいろな悩みを抱えている人も少なくありません。
例えば、うつ病や適応障害、ギャンブル依存症などがそうであるとされています。
世界の神話に始まり、様々な楽園が考えられてきましたが、結局人間自体を変えない限り楽園は実現しそうにはないようです。
真の楽園が欲しければ、それを享受する側も人間であることかあるいはそれ以前に生物であることを差し出す必要があるのでしょう。
存在は必ず悪夢を生み出す
ならば、存在よりはいくらかましなものを発明しようではないか。
エミール ミハイ シオラン / 生誕の災厄
[ 1 ] John B Calhoun , Proc R Soc Med. 1973 Jan;66(1 Pt 2):80–88.
[ 2 ] Itakura, Takumi et al. Neuron, Volume 110, Issue 15, 2455 - 2469.e8.
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